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何が『幸せ』かなんて、普段当たり前のように生活していたら中々分からない。


唯その瞬間はいつも突然、前触れもなくやってきて、少しずつ俺の心を満たしていく。



p  e  t  i  t    h  a  p  p  i  n  e  s  s
(前編)




「おい総悟、昼寝してる暇があるんだったら南地区へ見回り行って来い」

日本、江戸。 その一角に、武装警察真選組の屯所は建てられている。
最近めっきりと春めいた陽気が続き、隊士達の心も明るい太陽のように輝きを増している今日。 早朝の市内巡回を終え屯所へと帰って来た一番隊隊長・沖田は、縁側で横になっている所を 副長である土方によって起こされてしまった。 何事かと思いきや、今朝方任務をこなして来たばかりのパトロールをもう一度やって来い、との指令が。 昼食を済ませ程好い日差しの中まどろんでいた沖田は、言わずもがな反対の意を唱えた。

「えーっ、土方さんが行って下さいよ。副長だろィ」

それに俺は『休憩』と言う名の立派な任務の最中でィ。
真選組隊士と言えど、やはり人の子。 適度な休息を挟まなければ、ここぞと言う時に本領を発揮出来ない。 沖田はそう伝えようとしたのだが言葉が足りなかった所為か、それは見事に土方の逆鱗に触れ、 逆に屯所から追い出される破目になってしまう。

「阿呆!俺は別方面の巡回があんだよ!最近はやたら攘夷派の動きが活発だから 巡回の回数上げたの忘れたのか?さっさと行け!」
「…しょうがねえなあ…、ハイハイっと……」

副長の命に反論する訳にも行かず、沖田は文句を言いながらもアイマスクを取り去ると、帯刀し 立ち上がった。 あまり乗り気がしなかったが、沖田自身、近頃の攘夷派の活動活発化を知らない筈もない。 何より真選組隊士が市民を守る為に出動するのは立派な公務だ。 本当だったら今日は午後からオフだったのに、と心の中で静かに吐き捨てるとゆっくりと 玄関へと向かう。 普段なら今の時間帯に休憩を取っている隊士達の姿は今日に限って見受けられず、彼らも休み返上で 任務を遂行している事を理解した。 隊長の自分が休んでいては部下に示しがつかないと、後方で睨む副長の視線を背中で受けながら 沖田は溜息を吐き、そして一人屯所の門をくぐる。

「あーあ、仕方ねえ。今日は諦めるか…」

何気なく呟いた言葉は誰の耳に届く事なく、真っ青な空へと吸い込まれて消えた。




* * *





「ったく、何だって今日に限って攘夷派の活動が活発になるんでィ。ついてねえなあ」


屯所を出てから、どれ程の時間が経ったのだろう。 沖田にとっては数時間にも感じられたが、日の傾き具合からしてそう長く時が過ぎていない事が 分かり、更に沖田の機嫌は悪くなった。
数分前に己の巡回担当地区に着いた沖田は、周囲の人間に目を光らせながらゆっくりと 公務を開始していた。 街を行き交う人々は皆それぞれ思い思いに行動しており、仕事中の者もいれば知人と仲睦まじく 会話している者もいる。 こんな穏やかな情景の中に倒幕派が紛れ込んでいるとはとても思えず、それでも己の『公務』を 成し遂げなければあの鬼の副長に咎められるのは目に見えているため、今巡回を止める 訳にはいかない。 自分の思い通りに展開しない目の前の現実の全てが気に食わなくなり、沖田はつま先に転がっている 小石を見つけると、これでもかと思いっ切り蹴り飛ばしてみせた。

「くそっ、本当だったら休みなのに…。土方今にみてろよコノヤロー」

これから毎晩呪いの儀式をしてやる。
上司への不満を爆発させながらも、ふと常に頭の片隅をよぎるのは、すらりと伸びた体と 雲のようにふわふわとした銀色の髪を持つ一人の男だった。 未だ一戦交えた事はないが、恐らく真選組一の剣の使い手と称される己よりも数段上の 実力を持つ人物。 日頃は浮雲の如く掴み所のないあの男は、いざとなると死んだ魚のような両の瞳を宝石のような 深紅の色に染め上げ、とても綺麗に天を舞っていた。 その男の残像が沖田の頭の中を常に駆け巡り、いつの間にか脳裏に焼きついてしまっていた。
そもそも先刻から沖田がここまで休暇にこだわるのは、その男が一枚絡んでいる。 沖田の当初の計画では、午後の休暇はまず縁側で束の間の睡眠を貪り、その後 私服に着替え己の役職を全て忘れ去った上で銀髪の男の元へ足を運ぶ予定だった。 警察という役職上定期的に決まった休みが取れない沖田は、それでも少ない休暇を利用しては その男の家を訪れる事を楽しみにしていた。 男は沖田が訪れる時は殆ど家におり、毎度沖田が土産にと持参する甘味を喜んで食べながら 他愛のない話をするのだ。
…当初の予定なら、今頃上記のような楽しい一時を送っていただろうに。そう、当初の予定なら。 …なのに何なのだろう、この理想と現実の差は。
再び遣る瀬無い気持ちが込み上げて来て、沖田は目の前にそびえ立つ電信柱を右足で 思い切り蹴り上げた。 力任せに蹴ったために辺りに鈍い音が響き、道行く人々は何事かと途端に振り向き小さな騒ぎに なる。 そんな状況に構わず、沖田は止めていた歩みを再開する。 この野次馬を見渡してもどうせ想い人はいないのだ、それは分かりきっている事で、いないと 分かった以上赤の他人に注意を向けている場合ではない。 沖田が現在パトロールしているここ南地区はかの男の住居がある場所とは遠く離れており、 余程の事がない限り男がこの地を踏む事は確率的に零に等しい。 その事実が更に沖田の機嫌を深い奈落の底へと突き落としていった。

「…つまんねえや、駄菓子屋でも行ってサボろ」

完全に意気消沈した沖田は一言だけ愚痴を零すと、傾き始める午後の日差しを浴びながら、 近くにある顔馴染みの駄菓子屋へと進路を変更する。 これ以上この場に留まったとして、どんどん己が空しくなるだけだ。 いくら会いたいと心で願った所で、男が姿を見せる筈はない。 幸い辺りに仲間の隊士達の姿はないので、仕事から抜け出すには絶好の機会だった。 懸命に働いているであろう上司や部下、同僚には悪いが、仕事に集中出来ないのだ、 足手纏いになっても仕方ないので、沖田は真っ直ぐに店へと急いだ。


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