>>お前一人、辛い目に遭わせはしないさ







朱   の   世   界










「…死ぬな」


瞳に映るもの総てが朱に染まった時、もうこの言葉しか口に出来なくなっていた。


「死ぬな、銀時」


震える背中を互いに委ね、今を生きるこの茜の世界を必死になって目に焼き付ける。

夕陽が絶望を呼び寄せ焦燥に駆られようとも、不思議と涙は零れなかった。

それは、もうとうの昔に流す涙は枯れた所為なのか、はたまた後部に奴の熱を共有している所為なのか。

断言する事は叶わないが、いずれにせよ、どちらでも良かった。

双方の体温を与え奪い合う、この男の存在さえあれば。


「…ヅラ、俺ァよ、唯目の前の敵を斬って、斬って、斬りまくれば、やがてこんな血みどろの争いなんて奴ァ終わるもんかと思ってた」

「………」

「でも違ったんだよなあ…。倒れてく仲間見て、このまま天人を斬って斬って進んでけばその先に未来はあるのか、解らなく
なっちまった」


止めど無く、まるでぬるま湯に浸かっているが如く優しく身体を包む、疲労感。

段々と、だが確実に銀時の精神を蝕んでいるのが、生じた声から窺い知れた。

度重なる天人との戦闘、比例する同朋との決別。

さらに眩し過ぎる程世界を照らす入日の朱が複雑に交じり合い、感情を鬱積させて行く。

幾ら『白夜叉』と恐れられた奴でも、心(ナカミ)は歴とした人間なのだ。


「…我々には以前、『戦争』と言う答えの他に、幾つかの選択肢があった。だが自らの意思でその答えを導き出したのだ。
…もう後戻りは出来ぬぞ」

「知ってる。別に昔に戻りたいとか、後悔してる訳じゃねーよ。………唯何でだろうな、この真っ赤に染まった世界を見てると、
無性に遣る瀬ねェ気持ちが泉みてえに湧き上がってくるんだ」

「銀時…」


振り返れば、そこには顔を上げ、遥か彼方の浮雲を見る銀時の姿があった。

泣いているのか?問えば陽気な声に乗せ、こう答える 『バーカ、誰が泣くかよ』と。


希望はとっくに消えたえていた。

闇を切り裂き走る一条の光さえ、もう存在すらしていない。

攘夷戦争での侍側の敗北は、随分と前に決着がついていたのだ。

程無くして幕府は天人のその強大な力に恐れをなし、彼等に永久服従を誓うだろう。

そして、我々が祖国を守る為に必死になって戦った恩義を忘れ、彼等に寝返り、用済みの侍達を排除しに掛かるだろう。

それが摂理となるのだ。

……コイツも馬鹿じゃない。

これら総ての事柄を見据えた上で、刀を握った筈だ。

あの日、我々の手で天人を撲滅しようと大志を抱いた時に。


「……桂、教えてくれ、俺はどうしたらいい。ここで刀を捨てるべきなのか」


だからこそ、迷うのかも知れない。

天人除去を心に留めたからこそ、現状維持のままでいいのかと、揺らぐ自尊心。


「その質問には…俺は答える権利が無い。何が正しくて、何が間違ってるかなんて、今を生きる俺達には到底結論など出せないだろう」

「…ふっ、お前らしいな。……何だか安心した、お前が昔と変わらずに居ると」


顔見知りの奴ァ、殆どこの戦争の中で、変わっちまったからよ。


哀愁を帯びた声色は、この世に長く留まる事を許されずに、風が死んだ空へと還って行く。

そう、奴の言う通り、この戦いに関わった者の大方は戦場特有の硝煙の臭いにやられ、脳神経が麻痺し、最終的には狂ったように激しく舞い儚く散った。

今の所平生を保っている俺達も、いつ彼等のように豹変するか解らないのだ、可能性は十二分にある。

戦争とは敵との戦いでもあり、己との根競べでもあると知ったのは、つい先日の事だった。


「何を言う、お前も変わってなどおらぬぞ、銀時」


まるで幼い子供をあやすかの如く優しく微笑みかける。

奴を蝕んでいるモノ、それを少しでも軽く出来ればと、それだけを願って。


「…………ありがとうな、桂」


益々傾いた西日は銀時の顔を紅く染め上げ、炎を燃え上がらせた。

だが先刻と明白に相違しているのは、薄っすらと灯った微笑み。

疲労が困憊し意気消沈していた頃、長い間姿をくらませていたもの。

それが時を経て、再び銀時の元に戻っていた。


「元気、出てきたぜ」

「そうか、それは良かった」


互いに顔を見合わせ、気付けば双方共に声を上げ笑っていた。

このような事はいつ以来であろうか。

少なくとも、開戦後は笑っている余裕など無かった。

久方振りとなろう。

奴が居て、傍で笑い合う事がこんなにも温かい事だったなんて。

それだけで俺の心が満たされていくのが解った。



「…唯一つ、一つだけお前に言える事がある」



目前で繰り広げられる、赤から黒へ転換する終焉劇をしっかりと見据え、ほんのりと温まった心で、こう口にする。

……それは、最後の『救い』。

土壇場になって己の内底で湧き上がった、おそらくこれで最後になろう奴と俺との『希望』。





「俺は、俺だけは、何時もお前の傍らに居る。お前一人、辛い目に遭わせはしないさ。共に進もう」





背を合わせ、掌を重ね、再び互いに熱を感じ合う。

ふと、次の瞬間には、この世に恐ろしいものなど何も無くなっていた。

つい先刻意気地の無い言葉を吐いていた己が嘘だったかのように、脆く壊れかけていた心が、精神が、蘇っていく。

それはきっと、後部の奴も同じなのだろう。

銀時を取り巻く空気が、徐々に柔らかなものに変わって行く。

…延々と湧く泉の如く、溢れ出す『光』によって。


「美しく最後まで生きようではないか。天人に制圧される弱小な幕府など、糞食らえだ。奴らを見返すにも、俺達は俺達の信念が
赴くまま、生きよう」

「桂………」

「心配するな、散る時は一緒だ」


振り向いた先には、銀時の瞳が映す、『朱』。

しかしそれはもう俺達には恐るるに足らない。

そう、怖いものなど、何一つ存在しないのだ。

絶望を誘う夕陽も、優しくゆったりと包む疲労感も、『希望』を前にすれば赤子同然。

総て眩い『光』に掻き消されていく。



「………ホント、お前ってば昔と変わってねーなァ。クサいセリフ吐くトコ、昔のまんま」

「だが俺のお蔭で、進むべき未来が見えただろう?」


少しずつ、漆黒の闇が朱を自身の体内へと飲み込み始めた。

やがて完全に黒が世界を支配する時が来る。

それでも、決して俺が己に負ける事はない。

仮令それが、『朱』であっても。


「うっせ。…………でも、ヅラにしちゃ、カッコ良かったっての」

「一言余計だ」

「て、照れ隠しに決まってンだろ!」


奴が居れさえすれば、この愛しいものが存在していさえすれば、泥道を進む事になっても、前を向いて行ける。

これまでも、そしてこれからも、共に歩いて行くのだから。


絶望から祝福へ姿を変えた『朱』が見守る中、誓いを立てるようにして、銀時の唇に己のそれをそっと重ねた。













桂銀…?(疑問形ですみませ…)
1巻の銀ちゃんのセリフ「美しく最後を飾りつける〜」は、それ以前に桂が言ってた事を引用して言ってたら良いなーなんて考えていたらこんな事に…。
初めはシリアスで『攘夷戦争時代、絶望に支配される桂銀』を考えていたのですが、段々違う方向に…あれ。
何はともあれ、ここまでお付き合い下さり誠に有難う御座いました!