恋   ヒ   焦   ガ   レ










そう言えば、ここ数ヶ月会ってねえなあ。銀時は一人、ぽつりと呟いた。

初夏の日差しが照りつける今日、江戸・かぶき町は、毎年七月に行われる夏祭りに向けての準備に 追われていた。 勿論、一かぶき町住人の銀時も祭り支度を手伝うのは当然の義務であって、 ほんの二、三日前に半ば強引に祭りの実行委員より、役を与えられたばかりだ。 役、と言えば聞こえはいいが、悪く吐き捨ててしまえば単なる雑用係である。 仕事の内容を告げられるのは祭りと当日・開始三十分前との事なので、 大して重要ではないのだろう、どうせ客整理か屋台手伝いに決まっている、 毎年同じ事の繰り返しに、銀時はソファに座りながら気だるそうに一つ、欠伸を漏らした。 特に決まってする事はなく(新八は休日なので休み、神楽は定春を連れて散歩へ出かけていた)、 静かな室内を一通りぐるりと見回すと、再び独り言を紡いだ。


「最後にアイツを見たの、いつだっけ」


一人では広すぎる空間に、空しく木霊する自身の声。 決して酸素が足りない訳ではないのに、酷く息苦しいのは何故だろう。 最後には掠れた声色しか出せなくなっていた。


―――――――………」


今度は咽喉が渇く。 水分に飢えているのだろうか、銀時は即座にその可能性を否定した。

……そう、飢えているのは、水分じゃない。
脳裏に焼き付いていたのは………。

答えに辿り着いた時、銀時の口には自然と自嘲の笑みが浮かんでいた。


「…ちょっくら頭でも冷やして来るか」


こういう時、自分独りきりだと悩み過ぎ、深く壺に嵌ってしまう事を、銀時はよく心得ていた。 その場に素早く立ち上がると、家の鍵を持ち、玄関へと歩み寄る。 疲れきってショート寸前に違いない脳をリフレッシュする為、日が沈む時分まで暇を潰そう。 靴を履くと、外界への扉を静かに開いた。


* * *



暫く繁華街に沿ってぶらぶらと散歩をしていた銀時だが、それが無駄な行為だったと、 すぐに判明する事となった。 休日、その上晴天という好機が、通りの人口を増加させ、結果店の利益を上げていたのだ。 お陰で店各々は大繁盛のようだが、ある程度の静けさを求めやって来た銀時にとって、 この状況は難儀以外何ものでもない。甘味処で普段通りパフェを注文し、 程よい人口密度の中で糖分の力を借り脳をリセットしようと計画していたのだが、 この騒音では余計頭を混乱させるだけだろう。 仕方なく甘味処を素通りし、取り敢えず暫時歩き続ける事にする。
そして、丁度花屋の前を通り過ぎようとした時、事は起こった。


――――………銀時―――


何処からか、愛しい声で名前を呼ばれた気がした。
もう二ヶ月も耳にしていない、記憶の中の、あの愛しい声で。

一体何処から……、そう思い歩みを止めようとした矢先、路地から伸びた手によって、 銀時は別空間へと引っ張られたのだった。







抵抗する暇さえ与えられず連れて来られたのは、小さな公園だった。 裏通りに面している所為か、はたまた建物で日光を遮られ陰鬱とした雰囲気が漂っている所為か 、人影は見当たらない。掴まれていた腕を放された時には、この場にたった一つだけ存在する ベンチに腰掛ける形となっていた。 その時になって、銀時は初めて、自分をあの騒がしい雑音空間から連れ出した人物を、 正面から見据える事が出来た。


「久しいな、銀時」


その男(一見女に間違われても可笑しくない端麗な容姿をしているのだが、彼はれっきとした男だ。最も、性格は男そのものだが)は、長く艶やかなオニキスブラックの髪を一つに結わい、穏やかな笑みを浮かべ、ゆっくりと銀時の隣に腰を下ろした。


「元気だったか?最後に会ったのは…、確か二ヶ月程前か」
――――………ヅラ」
「会いに行けず、すまないと思っていた。近頃真撰組の奴らの市内巡回が頻繁でな、出るに出られなかったのだ」


心地よく響くテノールに、銀時は一言呟くと、思わず瞳を閉じた。
……これは夢なのだろうか?
目の前で展開している現実が余りにも起こりえない事なので、 早鐘となった心臓を鎮めるべく深呼吸を三回繰り返す。 そして、これは夢だ、と念仏のように心の中で唱えながら、 自分と外界とを遮断していた目蓋を開いた。] しかし、幻影と思われていたそれは、まだ銀時の隣に存在していた。 二ヶ月も恋い焦がれ、おそらくもう暫くは会う事は叶わないだろうと思っていた、この男が。


「本当に桂か――――?夢じゃ、ない?」
「可笑しな事を言う奴だな。ほら、手に触れてみろ。温かいだろう」 「………ホンモノだ」


―――相変わらず失礼な言葉を吐いてくれるな、お前は。
男、桂小太郎が堪らず声を上げ笑っている間、銀時は再度、今度は桂の頬に触れた。

……温かい。

血の通った人間の、ほのかな温もりが、銀時の掌を通じ、体内へとじんわり染み入る。 久々の再会を果たしたのだと、銀時は今やっと理解した。 酷く焦がれていた、待ち望んだ再会を。


「……こんな事言うのは女々しいけどよ、俺、お前に会いたかったんだ」


偶然の再会によって溢れ出したキラキラとした想いが、いつの程にか口から零れていた。 髪色と同じ、深い黒漆の瞳をまっすぐに見詰めていれば、銀時の言葉に反応してか、 黒眼がすっと小さくなるのを、銀時は見逃さない。

(ああ、やっぱり俺は、コイツに飢えていた)

本心を認めてしまえば、銀時と言う男の行動は素早いもので、 思い掛けなく訪れた好機を逃すまいと、自らの唇をそっと桂のそれに近づける。 優しく触れるだけのキスをすれば、逆に物足りないのは桂の方で、 持ち掛けたのは銀時の筈なのに、気付けば主導権は桂が握っていた。 銀時を驚かせぬよう、ほんの少し開いた唇の隙間に舌を滑り込ませ、 逃げ去ろうとする銀時のものを確実に捕らえ、絡めていく。 人通りが皆無なのを良い事に、桂は心行くまで存分に、久々の銀時を味わった。


―――っ、……はっ……、おま、ちょっ、激しすぎ……」


生理現象として両の瞳に涙を浮かべ、途切れ途切れに話す銀時を愛しそうに眺めながら、 桂は微笑む。 それを目にした銀時は、理由も分からず唯恥ずかしくなり、赤面してしまった。


「これだけでは、足りんな」
―――は?」


ぽつりと呟いた小さな言葉を即座には理解出来なくて、銀時は思わず聞き返してしまう。 だが、桂の次の一言を耳にした瞬間、銀時は更に頬を赤らめる事になるのだ。


「お前が欲しくて堪らない。二ヶ月も我慢した。……俺はお前に飢えているんだ、銀時」
―――……っ!」


桂の紡いだ言葉に、銀時は、桂も自分と同じ想いを抱いていてくれたのだと、認識した。 たった二ヶ月だけれど、顔を合わせなかった事が、これ程までに自分達を狂わせていたのだと。 すると刹那、二ヶ月間胸の奥底に閉じ込めていた恋心がどうしようもなく、 止め処なく満ち溢れ、彼を抱きしめずにはいられなくなっていた。 桂も銀時の背に確実に腕を回すものだから、銀時はなおきつく抱き返す。 そして微かに香るコロンの匂いに包まれながら、二人は互いに、ゆっくりと離れた。








「……今月末に、祭りがあるだろう」


暫しの静寂の後、先に口を開いたのは、桂だった。 日は西に傾き、ひんやりとした夕暮れの風が辺りに起こる。 おそらく、真撰組の市内巡回の時間が迫っているのだと、銀時は理解していた。


「夏祭り、か?」
「そうだ。そこでまた、会おう」


―――その頃には、我々攘夷志士が見つからぬ事で、 真撰組も巡回の無意味さを知って、警備を緩めるだろう。 変装さえすれば、俺だと露顕する事はない。
相変わらず笑みを浮かべたままで、桂は銀時を見た。 唯一つ、先刻の桂と違うと銀時が思ったのは、瞳に力強く、 それでいて優しい炎が宿っていた事。


「今日の所は用心の為、これ以上長くは共に居られないが、祭りの時期には必ず、 また会いに来るから」


だから、もう少しだけ待っていてくれないかと、桂は穏やかに囁いた。


それは約束。次回再会する時を決める、確かな契り。
それだけで、銀時は、自身の咽喉が潤って行くのを感じた。
桂は昔から、契約を破った事はない男だったから。


―――ああ、勿論」


銀時が久方振りに見せた笑顔は、桂からのキスの雨によって、より幸せなものへと変わって行った。